知性の衰退は検証可能性の封殺から

どうも皆さんこんにちは、イザークです。

 

 

ツイッターフェイスブックなど、大手SNSトランプ大統領のアカウントを凍結したようです。

たしかに、ドナルド・トランプという人物は、使う言葉汚いし、すぐ側近クビにするし、ぱっと見「下品な暴君」という印象を与えます。個人的には「上司にしたいか?」と問われれば、御免被りたいタイプの人間です。よそから観測する分には面白いのですが。

ただ、そういった人間的な好き嫌いと、大統領としてどのような施策を打ち出し、実現してきたか、ということは分けて検討されるべきですし、政治家としての仕事は後者で判断されるべきです。

 

そして、「彼がなにを発信したか」ということを検証可能な形で残しておくのが今後の判断に非常に重要です。メディアの知性に対する価値は、この「検証可能な形で残しておく」というものです。

 ツイッターもインターネットというインフラを利用したメディアです。本人の発言が未編集で、リアルタイムに世界発信され、世界中のみんなもそれについてレスポンスを返すことができるという意味では、これまでの新聞・ラジオ・TVなどと明らかに性格が異なりますが、やはりメディアです。

 

もともと、トランプ氏とオールドメディアの確執は根深いものがありました。その理由はトランプ氏が発信したいと思っているメッセージを、メディアは切り貼りしたり、コメンテーターが様々にコメントを付けることによって印象操作をしたりと言ったことが繰り返されたので、トランプ氏がすっかりオールドメディア嫌いになっというのがあります。

この「本来あったメッセージを、受け手が検証できない形で伝える」というオールドメディアの手法に対し、「誰もが検証可能な形でそのまま伝えられる」という価値で対抗したのがツイッターをはじめとするSNSです。

 

しかし、今回さまざまなSNSがトランプ氏のアカウントを凍結し、これからの発言のみならず、過去の発言も見えなくなっております。

過去に対する検証可能性の封殺は、「あれは何であったか?」という議論を停止し、知性の衰退を招きます。